《Fireflies(蛍)》 "I do not see as much of you as I would wish, but I do enjoy you." There was a certain irony in the words, from his bed to hers, but also affection. She was a dear, gentle lady. She had let him have her bed and spread quilts for herself outside the curtains. She had in the course of time come to accept such arrangements as proper, and he did not suggest changing them.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「蛍(ほたる)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。徒然草諸抄大成 全二十巻ノ内第六巻(一册)欠 浅香久敬編。
「蛍の巻」は、3代将軍家光の長女千代姫が婚礼調度として持参した国宝「蛍の調度」は、「源氏物語絵巻・蛍」に依拠することで知られております。大正2年発行 武士道物語 樋渡海門 啓成社 桂川の地戦/武蔵野の露/小田原城の殉難/武田家の宿将/大阪落城の義士 etc。原文は「源氏物語・蛍の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。官版 海外新聞 大学南校 箕作麟祥。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。長州藩分限帳 萩藩分限帳 干時安政三酉辰。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。信濃國伊那郡上新田村宗門人別御改帳他。現在の今上天皇と系譜がつながっている。即決1694年(元禄7)年『和漢名数 豆本類書』アンティーク、天文暦学書、江戸期和本天文、地理、歴史、卜占、吉凶、家畜、器服、官職、仏家。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。文禄四年七月十三日秀次公御切腹同八月二日若君・・ 写本。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。忍術からスパイ戦へ/藤田西湖/昭和17年・3000部/支那事變以來幾度か特殊の軍事任務に携はり我が忍術の今日に處して最大価値あるを認識した。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。中澤笳言自筆 俳諧十二律韻外 上毛那波郡中今村住人中澤笳言記。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。漢畫獨稽古 漢画独稽古 浪華君山子 紀藩/赭鞭舘 116-32。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。書簡 椿椿山 加藤先生宛。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。能代町能登屋常吉苗字帯刀御免賞状幅 奇兵隊 会津藩。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。稀少 1856年 安政3年 浄土真宗 本願寺 浄土三部妙典 お経 経本 約416ページ カバー付き。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。戦時資料・13冊/南京上空の残滅敵空中戦・日本に対する強盗遠征・外蒙及新疆の近況・雲南に対する英佛の活躍・近代国防より見たる蘇連邦。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。偕行社記事特号・9冊・部外秘・陸軍認可済/昭和17年/本誌は現職将校の爲軍事研究の重要なる一機関紙にして?容中秘に互る事項砂からず。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。1929年 支那 旅行通 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 地図 GHQ 禁書 風景 図版多。また、各巻ごとの書かれた年については不明。貞享五年御用番文書 戸田山城守・稲垣安藝守他 貞享五年。従って、応永五年とは、書き始めの年である。邪法宗門本朝由来記 南蛮国・バテレン・破天連。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。大日本 萬物歳時記 東都/野嵜魯文校合 假名垣魯文。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。蘭唐 眼目全書。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。1931年 佛像通解 検索:生写真 原色図版 支那 佛教 御経 佛経 経折本 木版刷 古籍善本 符呪 写経 藏経 敦煌 宋版経 経書経 彫版 白棉紙 道教。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。■『喜劇/滑稽又滑稽』中井苔香著。大正2年再版。東京御徒町・日吉堂本店發兌。。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【生資料】仙北郡参事会決議書 不揃い4冊 明治35年-38年(秋田県仙北郡)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。即決 1866(慶応2)年『南都暦 天保壬寅元暦 』アンティーク、天文暦学書、江戸期和本 八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、七十二候、日蝕。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。誠忠 義士銘々畫傳 初編五巻 駿東/柳亭種彦著。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。1882年 和漢修身訓 2冊 不揃 検索:支那 上代 唐本漢籍 典籍 古籍 善本 高忠憲 周武王 周濂溪 薛敬軒 仙洲島田均 木版刷 木版画 南画 人物画。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。當世名家 評判記 上下巻 朝川善庵・大窪詩佛・市河三亥・巻大任・宇田川玄榛・伊東玄朴・大槻玄澤・杉田玄白・宇田川榕菴・松本順亭他。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。◎送料無料◎蔵くら◎ お経 妙法蓮華経 巻第八 お経 仏教 ◎ 210909 M H100 仏壇 骨董 古玩 アンティーク レトロ。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。医療精義 徴候篇病徴部 三巻 木活字版 南豐/石川遠明卿譯述。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【真作】 上原勇作 龍岡篤敬宛書状 残暑~ A-145。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。仙台領地名所和歌 冷泉爲久・中院通躬他詠 正徳四年仲春季八。
出品した「源氏物語」は蛍(よこぶえ)の内容の要旨
「蛍の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。f20120801〇天草軍記大全 全21巻中8巻欠 13巻 島原の乱 島原・天草の乱 島原・天草一揆 寛永14年(1637年)勃発〇和本古書古文書。第25帖。甲賀流忍術・戦闘・諜報・捜査・必携/福山松翠/昭和28年/万川集海・軍用秘記其他の忍書や古老の言い伝え等を合せ解剖整理して編集したもの。光源氏36歳の5月の話。1933年 文徴明 書道法帖 検:碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 書法 北魏碑 珂羅版 支那 善本 篆刻 印譜 唐本漢籍 王羲之 石門頌 真賞齋 楷書道。五月雨の頃、兵部卿宮から玉鬘に文が届き、源氏はそれに返事を書かせた。@1936年 支那軍備 抗日 世界知識 検索: 中華民国 軍閥 蒋介石 馮玉祥 孫文 国民党軍 生写真 古建築 総督府 北伐革命軍 満洲帝国 日中戦争。喜び勇んで六条院にやってきた兵部卿宮の前で、源氏は几帳の内に隙を見て袋に入れて隠していたホタルを解き放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせて見せた。@1927年 川柳雑俳集 江戸文芸 非売品 日本名著全集 検索:戯作 読本 草双紙 俗文学 談義本 漢語 半紙本 中本 川柳本 俳句本 岡本一平 洒落本。予想以上の美しさに心を奪われた兵部卿宮は想いを和歌で訴えるが、玉鬘はつれなくあしらうだけだった。古文書 江戸期 御國益御手段之儀ニ付奉申上所見案廉書 高津・吉賀・長安・青原 組 石見國 津和野藩領 島根県 庄屋 大庭家。その美しさにますます夢中になってしまう。安政従来筆記 下巻 幕末維新記録集。この逸話から、兵部卿宮は蛍宮、蛍兵部卿宮等と呼ばれる。十返舎一九画賛扇面幅。蛍兵部卿宮は変わらず熱心に玉鬘に恋文を送ってきていた。遂良 書道法帖 千字文 検索:柯羅版 玻璃版 原色 支那 原拓片 北魏碑帖 王羲之 法書 印譜 漢籍善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石篆刻本 唐本拓本。源氏は一計を案じ、蛍兵部卿宮に色よい返事を書かせる。Schikking den woorden van holland 蘭書写本。喜び勇んで玉鬘の屋敷にやってきた蛍兵部卿宮は、源氏が隠れているとも知らず、几帳を隔てた玉鬘に向かって対座した。京都の庭園/重森三玲/昭和11年/天金本/従来殆んど人口に膾炙しなかった庭園や忘れられたる庭園に至るまで価値あるものは出来るだけ集めた。几帳の内にホタルを放ち、玉鬘の姫君の美しさを際立たせる方法は広く知られている。詞華和哥集 十巻 江戸前期寫。
自筆原本上部に「蛍(ほたる)」には、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。官版・輿地誌略・7冊/内田正雄/明治時代の地理書・世界の地理を略述・西国立志編・西洋事情と共に明治の三書と呼ばれる・当時の教科書。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。@1932年 現代中華民国満洲国人名鑑 検索:支那 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 溥儀 張作霖 関東軍。源氏の君が蛍を放って玉鬘の姫君の美しさを蛍兵部卿に見せたことに由来しております。絵図 (城郭図) 三重県 伊勢國 長島城 瀧川 一益(レターパックライト発送)。「蛍」の巻の原文には、「おどろかしき光見へは、宮ものぞきたまはん」とある。【模写】書簡 徳川慶篤 近衛右大臣宛て 水戸藩 南山。五月の晩、源氏の君は玉鬘の身辺に蛍を放ちほのかな光の中に玉鬘の姿を映しだす有名な場面です。智永真草千字文真蹟 谷氏本 検:碑帖 拓本 墨拓片 原拓 碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 朱印譜 唐本 漢籍 王羲之 神品 大唐。玉鬘の姫君の美しさを中国の楊貴妃を並ぶ絶世の美女と称される王昭君の美しさを現したものです。挿花美玉集 天地人巻 大露庵法橋河村一洗撰 美玉遠州流。王昭君は、漢の王宮の絶世の美女なのに、匈奴との外交のため遠く胡国の匈奴王呼韓邪単于(こかんやぜんう)へ送られる。1956年 絵本 連環画 孔雀東南飛 日本語 検索: 唐本 漢籍 漫画本 美術 傳説 人物絵 仕女絵 美人画 挿絵 小人書 古書 支那 中華民国 古典傅奇。白楽天の五言絶句「王昭君」の漢詩で詠われている。由利公正書幅。「玉鞍」は、ヒスイの宝石で作った鞍です。1931年 支那 古書 汪精衛 蒋介石 馮玉祥 孫文 関東軍 陸軍閥 国民党 租界 生写真 革命党 孔祥熈 洋行 巡捕 満洲 総督府 張学良 支那 古建築。現代語訳にすると「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた。(和本)木曽路名所図会 全7冊揃 秋里籬島編 西村中和画 和泉屋源七ほか板。」というものです。@1929年 王陽明傳習録 掃葉山房 漢文 古籍 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。紫式部が「蛍」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。即決 1869(明治2)年『盛岡暦』アンティーク、天文暦学書、超希少、陰陽師、卜占、古暦、明治維新、地方暦、舞田屋版、南部暦、岩手県。詳細な理由は下記説明欄に記載押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。武州高麗郡入間郡 諸検使書留 赤井利兵衛。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
「蛍」の巻は英文で「Fireflies」と表記されます。即決・極稀◆「新史学」木村鷹太郎 直筆書簡(坂本辰之助宛)大正12年頃。
《自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。1938年 支那事変 画報 中華民国 軍閥 旧日本軍 関東軍 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 南京 満洲 蘇州 盧溝橋。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。野々口立圃俳句俳文俳畫巻 江戸前期の俳画の先駆者野々口立圃の真筆絵巻。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。免園雜録 高野長英 高橋元貞 蛮社の獄。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。桃太郎御話聞書 淘祖春龜齋丸三先生御話。)
「自筆原本」
自筆右下四つの印のうち上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。1932年 唐拓九成宮醴泉銘 唐本漢籍 検索:支那 柯羅版 玻璃版 原色 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 善本 古墨拓本 碑刻石 瓦当 金石篆刻。
下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。筑波征伐元治太平記 水戸天狗党 武田耕雲斎。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。f20100201〇中村不折 直筆画 明治・大正・昭和期に活躍した日本の洋画家・書家。正五位〇和本古書古文書。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。本多弾正少弼書状 真田伊豆守宛。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。虞列伊氏解剖訓蒙圖 乾坤巻 松村矩明序譯出板 明治五年刻成。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。中国の遊印 検索:印譜 和紙 朱印存 封泥 古印社 篆刻 金石印 石鼓文 篆印 落款 古璽 支那 拓本 法書道 秦漢印 唐本漢籍 缶廬 鄧石如 呉譲之。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。支那事変・海軍航空隊奮戦画報・空臨時増刊/海軍省軍事普及部監修/昭和13年/南京上空の殲滅的空中戦/京空襲の懐出/支那事変空爆日記。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。豊大万寳古状揃 鱗形屋孫兵衛板。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。文化新撰 狂歌百人一首 六樹園撰 北尾重政画。》
「にほとりにかけ(影)をなら(並)ふるわか(若)こまは
いつかあやめにひきわか(別)るへきあいたちなき
御こと(言)ゝもなりや。覺鑁大師 孝養集 上中下巻 116-11。あさ(朝)夕のへた(隔)てあるやうなれと、
かくて見たてまつ(奉)るは心やす(安)くこそあれ」と、
たはふ(戯)れことなれと、のとやかにおはする人さまなれは、
しつまりてきこ(聞)えなし給ふ。1894年 明聖真経 光緒年 木刻本 検索: 唐本 漢籍 善本 写刻 官本 筒子頁 白棉紙 巾廂本 殿本 聚珍板 経折本 木版 紅印譜 支那 宋版経 古籍。ゆか(床)をはゆつ(譲)り
きこ(聞)え給て、御きちやう(几帳)ひ(引)きへた(隔)てゝ
おほとの(大殿)こも(籠)る。【推薦!貴重・稀少戦前和書【全頁流麗絵入+説明入】日本歴史畫集 合戦国武将軍武者絵浮世絵本天皇武田信玄上杉謙信徳川家康古書籍骨董仏教。け(気)ちか(近)くなとあらん
すち(筋)をは、いとに(似)けなかるへきこと(事)に、
思ひはな(離)れはてきこ(聞)え給へれは、あなかちにも
きこ(聞)え給はす。(和本)標註十八史略正文 全7冊 渡井量蔵標註 内藤傳右衛門板。なかめ(長雨)、
れい(例)の年よりもいたくして、・・・・《は(晴)るゝかた(方)なく》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。1933年 熱河風景 82図 承徳 避暑山荘 何應欽 黄郛 蒋介石 支那 中華民国 軍閥 閻錫山 馮玉祥 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 満州事変。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《源氏の君が直衣の袖に蛍を隠し姫君の部屋の前で光を解き放つ有名な場面》
《源氏の君が放つ蛍の光に驚く姫君を描いた「源氏物語」の有名な場面を記した原文》
《五月五日、端午の節句・宮中での競射と競馬を源氏の君が玉鬘の姫君と見学する》
《玉蔓(たかずら)の姫君・住吉物語に夢中になる》
(源氏の君)「雌雄(しゆう)並んで離れぬ鳰鳥(におどり)のように、
あなた(花散里)と影を並べる若駒のわたし(源氏の君)は、
いつ菖蒲のあなたと別れることがあろうか」
どうもあけすけなお二人のお歌ではある。趣味の絵科学・飛行機と航空船/白川稔/昭和8年/本書は面白く分り易い最新科學の教科書であるが写真図解による解?を主とし文字は従とした。
(源氏の君)「朝夕いつもごいっしょというのでもないあなたとの仲ですが、
それでもこうしてお目にかかれると気が休まります」
と、冗談をおっしゃりながらも、女君(花散里)がおっとりとして
いらっしゃるお人柄なので、しんみりとお話しになる。磯まくら 冥々 乙人 東北俳壇 俳諧 俳書。
この御方(花散里)は、御帳台(みちょうだい)を大臣(源氏の君)に
お譲り申しあげなさって、御几帳を間に隔ててお寝みになる。新撰彫物画譜 小島勝美画著 彫刻。
大臣(源氏の君)のおそばに共寝するなどということはまったく不似合いの
こととあきらめきっていらっしゃるので、
大臣(源氏の君)も無理にお誘い申すこともなさらない。はいかい 如是我聞 俳諧 浮簽狂人久藏著 贅亭主人諫圃(夏目成美)校 小林一茶他。
長雨が例年よりもひどく続いて、・・・・・《空も心も晴れ間がなく
所在ないので、御方々(明石御方・明石の姫君・玉鬘の姫君)は、
絵や物語などの慰みごとに夜を明かし日を暮していらっしゃる。新撰 戯子名所圖會(やくしゃめいしょずえ)三巻合本。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。新版 島原軍物語 巻中(上中下巻内) 寶永元年版。
《Fireflies(蛍)》
"I do not see as much of you as I would wish, but I do enjoy you."
There was a certain irony in the words,
from his bed to hers, but also affection.
She was a dear, gentle lady.
She had let him have her bed and spread quilts for herself
outside the curtains.
She had in the course of time come to accept such arrangements
as proper, and he did not suggest changing them.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《蛍》
无甚特色,源氏却得很可怜,便和唱道:
“君似菖蒲草,我身是水菰。春興噺萬歳 巻之一・巻之二(全五巻内)。
溪常并茂,永不菖蒲。正二位藤原實陰和歌 春日同詠青柳風静和歌。”
首都是肺腑之言。林子平私家板 文武兼備大學校之圖 文武兼備大学校之図。源氏花散里笑:
“我和然不常面,不共枕席,但如此叙晤,
反而得安心。両兎林 中巻 栖鶴編 英一峰画 宝暦九年 稀覯俳書。”原来花散里人和光同,
所以源氏可以衷曲。@1919年 何紹基 石門頌 禮器碑 何子貞 有正書局 唐本漢籍 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書道 篆刻 印譜 王羲之。
把自己的寝台源氏,自己睡在帷屏外面。鳳】明治 古文書 一條氏糸譜 清和天皇 辻新次 家紋 武田菱 まくり 共箱 資料 家譜 族譜 検:中国美術 掛軸 硯 墨。
早就断念,自己是不配和源氏共寝的,
所以源氏也不勉。貞観政要 全10冊揃いセット(全10巻) 南紀学習館蔵 文政6年 /江戸時代 漢籍和本。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」蛍の巻の末尾(原本番号21-B)右面と左面の押印。曹大家女論語図会 和本/文政12年/1815年/村田嘉言画/加賀屋彌助/女四書/江戸期。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。古刀銘盡大全 全九巻 仰木弘邦 寛政四年正月刋。冬姫は内大臣・通誠の養女。古今和歌集 上下巻(二〇巻) 松會開板 孟春吉日刋/元禄寶永頃刋。
冬姫は通称。日蓮上人御傳記 巻2~11巻(大尾)(巻1欠) 延寶九年刋。正式な名は伊達貞子。蜀山百首 太田南畝。左端の写真は「蛍の巻」末尾の拡大写真。古人俳諧随筆 栗浅園。
左上の篆書体は、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、
馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、
馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。絵図 (城郭図) 神奈川県 相模國 小田原城 歴史資料 帳仕立て(レターパックライト発送)。
篆書体の右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。@1939年 支那全土 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 江南風景 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 満州事変 蘇州府。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。集古圖説 本朝軍器考圖式 上下巻(内上巻の下一册欠)。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(蛍の巻)MRI 25―12B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・蛍の調度品」の資料
下記写真は、源氏の君が兵部卿のために袋にいれた蛍を御簾の中に入れる場面を記しています。悉曇十八章事 初刷本 正保二年九月上旬開板。
左が玉鬘の君、右が兵部卿。官版 西史覧要 福地源一郎 福地櫻痴 柳河春三 柳河春蔭。右下の玄関から様子を伺っているが源氏の君
上記絵巻は、「源氏の放った蛍の光により玉鬘の君美しさに感動する兵部卿
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。御文(おふみ) 蓮如兼寿 文明五年九月下旬。
源氏物語「蛍」の巻の原本に記されております。延寶六年 書巻。紫式部が「蛍」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「蛍の巻」を書いていることがわかります。稀少 ヴィンテージ 紙本 肉筆 書道 折帖 古書 古本 高雄山寺 興福寺 西大寺 東大寺 書 古美術 長さ 約506.4cm。この原詩の言葉の引用は、「蛍の巻」に用いられていることで広く知られている。琴秘曲(乙曲・四季源氏・樂の手)。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。欧州大戦史の研究・8冊/陸軍大將・杉山元/昭和11年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》の篆書体(てんしょたい)体の漢詩文の落款が押捺されている。海軍兵学校教育参考館図録/非売品/昭和9年/襲藏品の主なるものにつき写真撮影を行ひ解説を附し系統化して参考館総覧とも謂ふべきものを編纂。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。日本國東西南北定道矩 寶永七年庚寅夏六月朔日江府旅惣下書寫。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。古實活花目録口傳書 天地巻 翫樹齋一芽(花押)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。即決アンティーク百科事典、江戸期和本1867(慶應3)年『万歳雑書伊呂波引』大雑書、類書、陰陽師、人文科学、歴史民俗学、服務、家族、往来。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。呉昌碩印譜 印存 西澪印社 検索: 封泥 篆刻 金石印 金文 石鼓文 雅号印 雅印 古璽 支那 官印 私印 朱印 秦漢印 鄧石如 呉譲之 張瑞図 遊印。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。江戸期 寛政年 漢文医学 処方 朱印 漢医学 肉筆 検索:唐本漢籍 傷寒論 支那 善本線装 木版刷 張仲景 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 漢方 宋版。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。初版 中世の関所(畝傍史学叢書) 相田三郎 2.000部限定。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。@日本 文字 設計 デザイン 検索:広告 廣告 平面設計図 看板 字体 書体 字体書 美術字 標牌 牌額 銘牌 標識 標志 LOGO 活字 鋳造 書道 書法。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。久保田藩古文書●宝永7年 諸勧進合判 寺社奉行 秋田郡岩城村物成諸役相定條々と一緒にあり 現在の秋田県秋田市 判読文付。撮影後、展示のために再表装をしております。倭節用悉改袋増字◆古書 全1冊 俟野通尚 西川祐信 法橋西村中和 速水春暁斎 井上治兵衛 東都書林 浪華書林 皇都書林二鳩堂 文政元年-328。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。下野國田沼山城守切腹之事 田沼實秘録 旗本/佐野善左衛門切腹之事 田沼意知殿中殺傷事件の末。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【華麗・細密!明治期全頁彩色歴史画!】古兮圖※落丁無 検合戦国武将軍武者絵入浮世絵本天皇朝廷三国志関羽孔明仏教骨董古書籍日本中国朝鮮。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。傳信州中野鈴泉寺町田謙齋(湘湖)資料。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【売切り屋】学問ノススメ 六編 福澤諭吉 明治7年 官許出版 学問のすすめ 福沢諭吉 古書和本。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。つれづれ草 上巻(下巻欠) 徒然草 寛文八年刋。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。f20082801〇日本歳時記 全7巻 全1冊合本 貝原益軒 貞享5年 日新堂 画像複数掲載〇和本古書古文書。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。文政三年加州武鑑 矢野倉方昌記 天保四年三月。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。1938年/日中戦争/満鉄/北京観光案内/古文書/当時物 検索:芦溝橋事変/満州帝国/関東軍/総督府/督軍/租界/洋行/公署/支那/新京/奉天/抗日。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【極稀少書】■石村式 速記の完全独習 検定1級合格まで 石村善左 評論社 昭和46年■公費・領収書可 即日発送 送料164円-。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。華道 池坊 免許状(A048)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。明治勲章之勲八等瑞寶章証書/菊花紋章透かし/1940年/大日本帝国天皇/国璽/賞勲局 検索:菊の御紋/神武天皇勲等簿冊/支那事変/古文書日中戦争。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。中華民国期統税印照 検:朱印公印官印/古文書/故紙古紙漢文/唐本漢籍/国民党革命軍/南軍/金融証券/小切手/上海/印紙/印花税票/銭荘票号/手形。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。0026279 官版 孝義録 26冊 堀野屋儀助 文化5年 孝行者 寄特者 忠義者 貞節者 農業出精。母は後水尾天皇皇女女二宮。1934年 満洲国 地理 計46頁 検索:軍事 地図 洋行 日支事変 南満鉄 総督府 溥儀 関東軍 GHQ 蒋介石 軍閥 張作霖 北大営 汪精衛 支那 生写真。実母は近衛家女房(瑤林院)。賴朝一代記 豊亭牛眠作 芳信画 草双紙。幼名は多治丸。1938年/戦時/宣言/古文書 検索:支那/七七/事変/蒋介石/国民党/汪精衛/維新政府/満蒙/満州帝国/日中戦争/関東軍部/中支/武動/銃後/総督府。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。@1902年 衆議院議員人名録 岩本幾平誌 筆書 肉筆 117年前 検索: 写本 写経 手書 毛筆 古文書 当時物 本物保証 和本 和紙 在銘 落款 明治期。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。淡路国名所図会・5冊/暁鐘成編・松川半山・浦川公左画/昭和9年/淡路国風景/天皇皇后陛下へ献上済・由良要塞司令部検閲済/和装本/図版豊富。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。大阪より満鮮北支へ/昭和11年/満州国・北支那/鬼が出るか蛇が出るか一行五56名/大阪財界を代表するあらゆる方面の人士を網羅した団体である。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。摂西 兵庫名所記 上下合冊・1冊。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。0026656 田舎荘子 6冊 丹羽樗山 享保12年。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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